レターNo.113「最後のひと葉」(2022年12月1日)

 いよいよ、1年の最終月、今年の締めくくりと来年を迎えるための行事等で、気ぜわしい中にも充実感がある12月です。皆様お変わりなく、お元気でしょうか?
 
 ハラハラと舞い散る銀杏の葉を見ていると、O・ヘンリーの「最後のひと葉」という短編小説を思い浮べます。
 重い病気の少女が主人公です。この少女の部屋の窓からは、向かいの壁に絡まったツタの葉が見えます。少女は、そのツタの葉が冬の訪れと共に、風に飛ばされ散っていく状況を見ながら、最後の一枚の葉が落ちた時に「私は死ぬ」と“命のおわり”を予感していました。
 ある夜、嵐が来ました。見れば、たった一枚残っている最後のツタの葉が、今にも風に吹き飛ばされそうです。しかし、夜が明けて見ると、最後のひと葉が、まだしっかりとツタに残っています。それを見た少女の心に、ふつふつと生きる希望が湧き上がっていったのです。・・・・・・実は、そのツタの葉は、同じ建物に住んでいる老人が、少女を力づけようと、夜が明ける前に、壁に書いた絵だったのです。
 
 嘘をつくことは、よくありませんが・・・とは言っても、現実の世の中では、敢えて嘘をつかなくてはならないこともありますし、嘘をついた方がよいこともあります。
 嘘の善悪については様々な考え方があり、一概には言えませんが、「良い嘘」と「悪い嘘」があり、その境界線を考えるポイントには、「誰のためか」と「悪意の有無」という2つの視点があります。
 明らかな嘘を「真っ赤な嘘」と表現しますが、相手のことを思っての、悪意の無い嘘を「ホワイトライ」と言います。反対に悪い嘘は、相手を失望させたり、落胆させたり、精神的に傷つけたり、自分を守ったりするためにつく悪意ある嘘で「ブラックライ」と言います。詐欺などの犯罪行為や人を貶めるような嘘は、「ブラックライ」です。

 O・ヘンリーの「最後のひと葉」は、相手のことを思っての善意からの「ホワイトライ」です。嘘でありながら、美しく、人々に感動を与える「神様が許す嘘」です。
 相手が希望を抱けたり、明るい未来が描けたり、勇気づけられたり、嬉しくなったり、体力が回復したり、元気を出せたりする嘘は「神様が許す嘘」です。
 
 例えば、「〇〇時から会議があります」と言われ、会議室に行ったら、何とその場は、サプライズのバースデイパーティ等は、相手を喜ばす嘘です。病人に、「お顔の色がよいですよ」等と言うことは、病人を励ます言葉になります。恋人が作ったお料理が、本当は美味しくないのに「美味しい!」と言ったり、友達に誘われた時、行きたくないので、本当は暇なのに「残念だけれど、用事が入っている」等と言うことは、相手を傷つけないための嘘です。
 職場などでも、よく、お葬式や結婚式が多い社員います。「あれ、先月もおじいちゃんが・・?」等。 見栄っ張りも、人からよく見られたくて、嘘をつきます。子供も可愛い嘘をつきます。「ケーキ食べたでしょ!」「食べてないよ!」口の周りにクリームが・・。これらはバレバレの嘘ですね。
 考えてみれば、結構嘘を皆ついてますね。円滑な人間関係を構築していく上では、時にはそういう嘘も必要です。

 自然界では、さほど大きな脳を持っていない昆虫や動物にも、擬態や欺き行動がみられます。
 人間の場合、その多くは、社会で共感的に活動し、生き抜いていくための一つの機能(自己防衛本能)と言えます。
 お互いに些細なものであれば、気にも止めず、日常的に多用している嘘ですが、状況や内容によっては、大きなトラブルに発展してしまうこともあります。
 どのような嘘なら許容し合えるか、どのような嘘は許されないか、その境界線は、やはり、「誰のためか」「悪意の有無」の2つの視点で考えると、「ホワイトライ」なのか「ブラックライ」なのかの判断ができます。「ブラックライ」には巻き込まれたくないですね。

 さて、書店で来年の手帳を購入しました。まだ真っ白。ここから、来年はどんな予定が埋まっていくのかしら・・・・いかん、いかん、働き方改革でしょ! 
 計画グセを深呼吸で落ち着かせ、予定のない余白は、訪れる未来を待ち受けるための大切な白なのです。

LOVE
植田亜津子

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